承認欲求について

承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、他人から認められたいとする感情の総称である。

Wikipedia参照)

 

人によって様々な承認欲求の満たし方がある思う。仕事で上司に褒められる。学校で先生に褒められる。彼氏彼女に好きと言われる。SNSで共感を得る。などなど。

 

私の場合、幼少時代に親にほぼ褒められた事がなかったためか、承認欲求が非常に強いし、特に褒められる系統の事象にとてつもなく興奮する。

バイト先でも、「褒められたい。褒められたい。」と常に思いながら仕事をしているし、逆に「仕事できねえなこいつ。」とか「使えねえ。」とか思われることを極度に嫌っているため、ミスをする事が何よりも恐ろしい。何度も何度も見直しするし、必要以上に時間をかける事もある。しかし、時間をかけ過ぎれば「仕事おっそ。」となるのでそこの塩梅が難しい。

 

久し振りに会った友達とかにも、「あれ、こいつこんなつまんなかったっけ。」とか「なんか感じ悪くなったね。」とか絶対思われたくない。だから出来るだけ以前と変わらない態度で接するし、何ならキャラ作りしていくし、昔の事を思い出して今の自分と矛盾点が無いように心がけるし、見た目も清潔に、喋り方も嫌味っぽくなく、なるべく笑顔で…。

 

 

 

 

 

…お分かりいただけただろうか。

 

 

 

 

 

その通りである。私は常にこの厄介な承認欲求に縛られながら生きている。特に褒められたい欲に縛られている。「オシャレだねー!」「仕事できるねー!」「歌上手いねー!」もうなんだって良い。「面白いねー!」「手が綺麗!」「声が素敵!」「髪がサラサラ!」「肌が白い!」「良い匂いするね!」何だって良いんだ。褒めてくれ。褒めてくれよ。本当に。マジで何でも良いから。嘘でも良いから。チヤホヤしてくれよ。言うこと聞くから。かわいくしてるから。大人しくしとくから。時に盛り上げるし。踊れって言われたら踊るし。歌えって言われたら歌うし。でもきっちり「上手いね」って褒めてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近思うのは、この厄介な厄介な承認欲求を他人に依存しない方法である。だって面倒くさいでしょ?こんなやつ。でもそもそもこの考えは矛盾していて、冒頭に書いたように承認欲求とは他人から認められたいとする感情であって、他人に依存するのは当然の事である。しかし、1つ、ある案が浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金を稼げる能力。金を稼ぐって事は、何か人の役に立ってその報酬で金を貰うというのが一般的な流れである。それすなわち、金を稼ぐ=他人に認められてるって事じゃね?他人にほぼ干渉せずに金を稼ぐ方法は実は結構あるし、それならこの承認欲求を他人に依存せず、誰にも迷惑かけずに満たせるんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

なんだこの天才的発想は…!逆転の発想である…!そこは盲点だった…!痒いところに手が届いた最善の方法である…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はあ…。気づきの天才である俺様はついでにもう一つ気づいてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その金を稼ぐって能力。何も持ち合わせてなくね。

 

 

(1284字)